🚅 ようやく
新青森駅に、到着をしました。
先に着いている
父ちゃんか
親戚のおんちゃんが
迎えに来てくれるみたいです。
それでは
青森ねぶた祭を
思いっきり、楽しむど~!!
#吉幾三さんのふるさと青森県(五所川原)
#新青森駅の売店で馬鹿につける薬を探してきます
広島原爆資料館や
宮島の厳島神社の待ち時間が
1時間半は、かかると言われていましたが
私が行った日は
30分だけでした。
待てなくて去っていく日本人が多いなか
外国人の方々は
資料を食い入るように見られていましたよ。
しかし
館内は
大混雑
展示物の撮影をしても大丈夫なのかと
聞いた方に
(あたりの方を気にしないで、存分に見学をしていってください)と言われ
そのようにし
時間をかけて、見てまわりました。
思わず嗚咽をしたのですが
泣き声を、抑えられない
鼻水と涙が
マスクに落ちましたが
マスク越しのコミュニケーション
目のあった外国人の女性と
言葉を交わさずとも
通じるものがあり
アイコンタクトを取りました。
昔は
当然
修正や加工なんて
出来ません。
写真を取る時には
みんな
とびきりの笑顔を見せたものです。
広島原爆資料館にて。
1930年前半の
幟町(のぼりちょう)尋常高等小学校の
生徒さん達。
みんな みんな
とっても可愛い
先生も
とびきりの笑顔だ!!
広島旅では
1回だけタクシーを使い
あとは、路面電車で移動をしました。
「皆実町二丁目」
被爆建物
旧広島陸軍被服支廠を見た帰りに
この駅で
元気な
小学生低学年の男の子から
被っていた帽子を取って
「こんにちは!」と声を掛けられました。
宮城県の港町を歩いていた時に
下校中の男の子に
挨拶をしたら
無視をされたので
今は
知らない人が
声を掛けちゃいけない時代なのかな?と思い
広島でも通り過ぎようとしましたが
ランドセルに
色んなものをぶら下げていた男の子でね
嬉しかったです。
「八丁堀」
バスを待っている間に
向かい側のバス停で立っていた
こちらも小学生低学年の男の子が
広島原爆資料館の資料写真で見た
被爆し
亡くなってしまった男の子
確か
入学のお祝いにもらった
皮のベルトを握りしめたまんま
亡くなった男の子に似ていて
胸が、ギューっと
詰まってしまいました。
バス停に立っていた男の子は
イマドキの学生服ではなく
クラシカルな制服でしたので
亡くなった男の子が
蘇ったように、見えました。
広島に
原子爆弾が投下をされてから
69年目の
8月6日がきました。
青森まで
2時間ちょっとかかるので
去年11月に
初めて行った
広島の模様を書いていきますね。
広島空港から
シャトルバスに乗って
広島市内中心部へ来た時
ずっとずっとずっと前から
テレビや雑誌で見ていた
原爆ドームが
車窓から見えてきて
涙が、ポロッと出たのを覚えています。
目や耳にするものの
全てに
無我夢中の
2泊3日旅でした。
爆心地のそばで
流れている
元安川が
こんなに
綺麗な色をした川だとも知らず
「平和」って何だろう?と
考えながら歩きましたが
旅をした当時のブログに書いたように
夢があること
戦争がなく
笑顔で過ごせることかなぁ
なんて
思いましたね。
皆さんにとっての
「平和」とは
なんですか?
#ノーモアヒロシマ&ナガサキ
#戦争絶対反対